東京都小金井市。菅原道真公 を祭る小金井神社のホームページです。

小金井神社タイトル

由緒

創建は元久2年(1205年)武蔵野開拓にあたり、菅原道真 公の徳を敬い社殿を造り天満宮としたと伝えられている。 天正11年(1583年)賀茂下出雲入道勝重という人が、 小金井の地に住み大いに開拓に努力し、里人と共に資金を 集め社殿を修築した。 宝暦元年(1751年)当時の名匠である江戸神田に住む粉川 市正康信に、道真公の坐像(高さ42.4センチ)の彫刻を依 頼した。これが現存し、御神体として祀られている。  この頃には、上小金井村、下小金井村、下小金井新田と 三ヶ村の総鎮守と伝わる。  天保14年徳川12代将軍、徳川家慶が小金井桜観桜の際に 侍臣を遣して小金井神社へ奉幣を行う。  大正4年大正天皇即位式にあたり、御大典記念奉祝事業 として神社境内地に神苑を設ける。  昭和21年には、現在の上皇陛下が、幼少の砌小金井神社 例大祭をご見学なされる。  御本殿は宝暦年間の造営であるが、平成4年に氏子の協力 をえて改築工事が施されている。  平成14年御神忌千百年記念事業をして、参道敷石改修と 大太鼓を製作する。  拝殿は明治27年に建てられてたものであったが、令和 元年より、御代替奉祝記念事業拝殿改築及び境内整備が 行われ、令和2年12月新拝殿が竣工した。

御神徳

御祭神・菅原道真公は、承和12年(845年)6月25日に 京都の菅原院でお生まれになった。幼少の時からその学才 は群を抜き、33歳で文章博士になり、宮中の教官として 活躍して当代随一の大学者として尊敬された。  讃岐守の要職にあられた時、この地方一帯が大変な日照 り続きで、人々は困窮を極めていた。道真公はこの天災は 自分の徳が足りないからだとされ、身を清めて祈願された ところたちまち大雨が降り、農作物の枯死を免れることが できた。人々は大変感謝し道真公の徳をたたえた。  その後京都に帰り、次々に栄進を重ねて55歳で右大臣兼 近衛大将に任命された。  この事を快く思わない藤原氏の謀略により、大宰権帥 (だざいごんのそち)として九州に左遷された。その際に 住み慣れた京都を発たれるとき   東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花              あるじなしとて春な忘れそ  と詠じられたことは余りにも有名である。大宰府(現在 の福岡県太宰府市)に赴かれては、身を慎まれ必ずや冤罪 が晴れることを信じたが、その甲斐もなく延喜3年(903年) 2月25日59才でなくなられた。  薨去後間もなく、神として奉祀され天満天神信仰史によ れば、全能の神として病気平癒を祈り、無実の罪をはらし て正直を守る神、文学・書道芸能の神として大きな信仰を 集めている。  近年は特に学問の神として受験生の参拝が多い。

社号と氏子

 「天満宮」と称されていたが、明治維新に際し、 「天満天神」と改称し、更に明治3年12月小金井の里 総鎮守として地名にちなみ「小金井神社」と改称した。 通称は「小金井の天神さま」「天満宮小金井神社」と 呼ばれている。  氏子区域は小金井市前原町、同市中町、同市東町、 同市緑町、同市桜町、同市本町の広範囲にわたっている。

宝物類

一、享保17年7月寄進の長い木刀
 
二、文化元年9月寄進の幕
 
三、天保9年9月氏子奉納の力石2個
 
力石2個
 
四、天保14年9月芝増上寺64代大僧正梵誉密賢筆天満宮の奉納額
 
五、小金井小次郎奉納物[狛犬、絵馬]
 
六、この地の刀工金井信重製の宝剣一振
 
七、佐野播磨奉納太刀一振
 
八、日露戦争関連奉納物[写真、ペン]
 
九、昭和48年6月市民奉納の石うす塚
 
石うす塚
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