由緒
創建は元久2年(1205年)武蔵野開拓にあたり、菅原道真公の徳を敬い社殿を造り、
天満宮としたと伝えられている。
天正11年(1583年)賀茂下出雲入道勝重という人が、小金井の地に住み大いに開拓に努力し、
里人と共に資金を集め社殿を修築した。
宝暦元年(1751年)当時の名匠である江戸神田に住む粉川市正康信に、
道真公の坐像(高さ42.4センチ)の彫刻を依頼した。
これが現存し、御神体として祀られている。
御本殿は宝暦年間の造営であるが、拝殿は明治27年に建てられてたものである。
その後、御本殿は平成4年に氏子の協力をえて改築工事が施されている。
平成14年御神忌千百年記念事業をして、参道敷石改修と大太鼓を製作。
御神徳
御祭神・菅原道真公は、承和12年(845年)6月25日に京都の菅原院で
お生まれになった。幼少の時からその学才は群を抜き、
33歳で文章博士になり、宮中の教官として活躍して当代随一の大学者として
尊敬された。
讃岐守の要職にあられた時、この地方一帯が大変な日照り続きで、
人々は困窮を極めていた。道真公はこの天災は自分の徳が足りないからだとされ、
身を清めて祈願されたところたちまち大雨が降り、農作物の枯死を免れることができた。
人々は大変感謝し道真公の徳をたたえた。
その後再び京都に帰り、次々に栄進を重ねて55歳で右大臣兼近衛大将に任命された。
この事を快く思わなかった藤原氏の謀略により、大宰権帥(だざいごんのそち)として
九州に左遷された。その時住み慣れた京都を発たれるとき
東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
と詠じられたことは余りにも有名である。大宰府(現在の福岡県太宰府市)に赴かれては、
身を慎まれ必ずや冤罪が晴れることを信じたが、その甲斐もなく延喜3年(903年)2月25日
59才でなくなられた。
薨去後間もなく、神として奉祀され天満天神信仰史によれば、全能の神として病気平癒を祈り、
無実の罪をはらして正直を守る神、文学・書道芸能の神として大きな信仰を集めている。
近年は特に学問の神として受験生の参拝が多い。
社号と氏子
「天満宮」と称されていたが、明治維新に際し、「天満天神」と改称し、
更に明治3年12月小金井の里の総鎮守として地名にちなみ「小金井神社」と改称した。
通称は「小金井の天神さま」「天満宮小金井神社」と呼ばれている。
氏子区域は小金井市前原町、同市中町、同市東町、同市緑町、同市桜町、同市本町の
広範囲にわたっている。
宝物類
- 一、享保17年7月寄進の長い木刀
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- 二、文化元年9月寄進の幕
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- 三、天保9年9月氏子奉納の力石2個
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- 四、天保14年9月芝増上寺64代大僧正梵誉密賢筆天満宮の奉納額
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- 五、小金井小次郎奉納物[狛犬、絵馬]
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- 六、この地の刀工金井信重製の宝剣一振
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- 七、佐野播磨奉納太刀一振
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- 八、日露戦争関連奉納物[写真、ペン]
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- 九、昭和48年6月市民奉納の石うす塚
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